石原区の屋台

--写真はコンピュ-タグラフィックスで細部まで表現した屋台のイメージモデルです。--

全長4860mm
全幅2850mm
高さ4910mm
重さ3800kg(無人時)
昭和12年製作

制作者:石原区内の渡谷豊吉
彫刻:小林義雄
四方唐破風造
三輪御所車
見送り幕:左丹頂鶴と右亀

動きのある
石原区の屋台のCG
を御覧になりたい方は
こちら


全長4900mm
全幅31000mm
高さ4950mm
重さ3800kg(無人時)

昭和12年製作

制作者:石原区内の渡谷豊吉

彫刻:小林義雄

四方唐破風造

三輪御所車

見送り幕:左丹頂鶴と右亀

石原区の屋台は熊谷唯一の四方唐破風屋根という風貌を持つ珍しい 屋台です、車輪は柁の利くめずらい三輪で、熊谷以外では行田市叉は深谷市に1〜2台程度しか見うけられない非常にユニークな形です。曵き綱の力と前輪の舵、左右のブレーキを場所によって使いわけ方向かえるしくみなっています、この三輪の由来についてははっきりしないのですが、熊谷に始めて取り入れられた山車が江戸の神田から購入したものでこれが牛に曵かせる二輪の牛車型式の山車で、これを狭い宿場の街道でも取り回しのできる使い勝手のよい三輪に改造したのが始まりではないかと言われています、個人的には、「よその町で見かける様な四つ車の山車や屋台は基本的に『安定を量る為』だけなのに対してこの一つしかない前輪はいわば『牛の化身』である」、、、と思った事がありましたが実際の所は単に予算の都合だったのかも知れません、これは事実が解り次第ご報告しますが話が古い上に熊谷は戦争で空襲を受けた町でもあり参考になる古文書等が戦火で焼失してしまった為あまり多くの資料は残って無いかもしれません。いずれにせよ石原区の屋台もこの型式を踏襲しており、新造でありながら江戸山車車にアレンジを加えた物を参考に更に独自性をを加えた形となって登場した訳です、現代で言えばクラブ系音楽のサンプリングのようなもの?でしょうか、、 。

       ==まといについて==

石原区の纏は見ても解る通り丸と四角だけという非常に単純で分かりやすい物ですがこれは何も作りやすいとか安くあげようとと言う事では無くこれにはれっきとした訳があります、、、江戸時代火消しの花形の鳶が火事のとき屋根で纏を振ってたのがい組の纏、そこで同じい組の纏にしたそうですが、写真にあるとうり、上の丸いほうが『芥子の実』(けしのみ)を模しており、下の四角形は『』(いっしょうます)を象った物だそうです。そして 地名が "い"しわらだから い 組の『』の字をあしらい、その結果この形となったわけです、、、しかし、何故"芥子の実"と""なのか?少しそのなぞに迫ってみましょう、当時は今のように皆が文字を読める訳ではありませんでしたので、お店などは色々な絵や図形での営業内様を示したり、または道路案内の地名を現したりしたそうです。この纏もその意図があったかどうかは不明ですが、 火+芥子+升すなわちを"芥子"""→ひをけします→火を消しますということらしいです!!そしてこの形が生まれた訳です。この纏は昔からの鳶の由緒ある纏らしいです、、、
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===お詫びと訂正===

以前纏に付いて石原には昔豆腐屋とだんご屋が非常に沢山あってその事が由来してまといの形がだんごの丸と豆腐の四角を型取った物に なったということですという記述がありましたが確認のとれていないプチ都市伝説でした。

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