昔は講と呼ばれる物が結成され、伊勢講とならび富士講と呼ばれる信仰が盛んに行われていました、この富士塚もその名残りです。この富士塚を造った上之村の講がどのよう種類の団体であったかは手許に資料がないのでわからないですが、大変信仰心のあつかった村民であることがこの美しい造型の富士塚からも伺えます。
当時は今のように交通も発達していなかったので人々はおいそれと旅になんか出れません、それに旅に出ると言う事は死を意味しました。しかし人々は講を結成しこの富士塚のようなエイリアスを作り富士とみなし信仰を謀ったのです。また、代表者が参拝に出かけ御利益を賜りそれを村に帰ってから皆と分け合うというシステムも定着しました。
ちなみに講を辞書で調べてみると、1経典の講義をする会。法華八講など。また、仏教の信者が集まり、仏の徳を賛美する法会(ほうえ)。2社・仏閣への参詣や寄進などをする信者の団体。伊勢講・富士講の類。3貯蓄や金の融通のために組織した相互扶助の団体。無尽講・頼母子講(たのもしこう)の類。、、、とありますが、多分、実際はこれらの要素が複雑にからみ合っていたのが一般的な講だと考えるのが普通でしょう。あくまで予想ですが、、
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