(作家)森村誠一

氏の小説の中には    

      が付きまとう、

ミステリーなのだから当たり前なのかもしれないが氏の作品に出てくる

"死"

は何か質が違う

背中にへばりつくような暗い影を感じるのだ

それは他のどの作家にも見られない人間の本質に迫った死なのである

状況が複雑にからみあって昇華した時のみに作品内に死が訪れるのだ

氏の小説の中では死は生以上に非常に重く捉えられていると私は思う、

犯人も被害者も極めて人間臭い、殺人の大半は起こるべき状況に追い込まれ

人間が最終的に辿り着いた末の路である、これは非常に興味深い、

もしかすると氏の作品全編を通してが真の人間の証明の全容なのかもしれない、、、




森村誠一について

昭和8年、埼玉県熊谷市星川近くの弁天町(現在は弥生町と統合)に生まれる。

幼い頃は荒川河原で縄張り争いをするなど、わりとガキ大将だったようである

そして12才の時に、、、



昭和20年8月15日

アメリカ軍はその豊富なエネルギーを誇示するかのように爆弾・焼夷弾をばらまき

木と紙でできた素朴な街を瞬時に灼熱の猛火で舐めまわした

いわゆる"熊谷空襲"である。

人々は逃げまどい、やがて多くの市民は星川の水に救いを求め集まった

しかし、そこは攻撃の中心部であり無酸素と火炎の地獄だったのである

彼の父親は近くの星川より街中心から少し離れた荒川土手に家族を避難させた

幸いここには爆撃の手は及ばず、文字どおり急死に一生を得たのである

しかし彼の家は戦火の生贄になってしまった

まっかにもえあがった熊谷の家の方角から立ち上る積乱雲を見ながら

誠一少年は「ちくしょうちくしょう」とくやしがったそうである。

これが終戦前夜の出来事である、

あと数時間早ければ彼の家も市民も亡くなる事は無かった筈であった

翌日、星川にはおびただしい数の死体が浮かんだ、薪炭屋の主人も亡くなった

文房具屋の奥さんも子供を抱えたまま亡くなった、、

この強烈な体験は氏の作品の大きく影響を与えている筈である、

氏の作品からもその事が読み取れるシーンが多々ある。

ところで話は変わるが以前氏の話でこんな事を聞いた、熊谷の荒川の河川敷で

ふと遠くの夕焼けを見つめた時その遠くの空の下にある土地に興味がわき

郷愁の念の様な物を抱いた、やがてこれが人間の証明に出て来た金湯館などの

ひなびた温泉が出てくるきっかけになった様なことを語っていたような気がする。

その後地元熊谷商業高校を卒業すると青山学院大学文学部英米文学科に進む

この間も22才になるまでの人生の一番貴重な時を熊谷で過ごす。

やがて青山学院大学卒業後、9年間のホテル勤務を経て本格的に作家活動を開始。

(この時の経験が傑作"高層の死角"が生み出すきっかけとなった)

昭和44年、先出の「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞。昭和47年、「腐蝕

の構造」で日本推理作家協会賞を受賞。

「人間の証明」に至っては映画化されさらに、このCMは独特の歌と

「母さんあの麦わら帽子どうしたでさふね、、」というフレーズで当時社会現象ともなった。

この時の角川文庫のCMのキャッチフレーズも「読んでから見るか見てから読むか」と

いう映画と小説をリンクさせた非常に画期的な物だった事を記憶している。

証明シリーズとなった「人間の証明」「青春の証明」、「野生の証明」

が出そろい三部作となったと巷では言われているが先にも述べたように

氏の作品には全作品を通して一貫したテーマがある

それがズバリ「人間」である。

現在もエッセイや、ノンフィクション、さまざまな時代を舞台とした小説

etc.と作品の幅を広げながらも世に送り出し続けている。

氏のその精力的な執筆活動は留まる事を知らない。

☆個人的に好きな小説はやはり人間の証明で、これは当時というより

 現代になり似た話が沢山出て来て氏の着眼点の深さに感服した物でした

 さらには地元熊谷や秩父が出てくる凶水系などもお勧めです。
氏の新情報が入り次第追加します。

最近ではフジテレビで人間の証明がドラマ化された、「満を持して始まる」と称された


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